サリーちゃんのパパです。
さて我が家のサリーちゃん、目下反抗期絶好調。
「サリー歯磨きしよっか」「やだ」
「サリーちゃんねんねしよっか」「やーだ」
「サリーちゃんおはよう」「やだー」
。。。。。。。。。。泣
日々枕を濡らしております。
僕はそうでもないですが、奥さんは結構気が短いし、常に接しているので、ついつい怒ってしまうそう。
そして怒った自分に自己嫌悪。。。だそうです。
きっとどこの家庭も抱えるささやかな悩みだと思います。
我が家は、シュタイナー教育という教育学に基づいて子育てをしていますので、テレビを見ない、キャラものや人口の3Dを見せないなど色々ありますが、もっとも大事な、「歯が生え変わるまで知識や習慣などの押しつけをしない」ということを日々反芻しながら、無理やり歯磨きさせたり、ねんねさせないように頑張っています。
もっとも大事なことは、歯磨きであれば、親が一緒にそれをする、或いは親が一人でもそれをする、ということです。
子供は歯が生え変わるまでは模倣だけを生業としますので、それ以外の論理的教授は全く必要のないことなのです。
しかしそこはこちらも親としては新人。ついつい「もう!」となってしまいます。「虫歯になるよ!」とかね。
自分が人生において大事なことだと感じることを他人に伝えたいとき、最も大事なのは語気に感情を込めることではなく、自分がそれをやってみせることです。
赤ん坊でも真似するんですから。
怒りに任せてその場限りのロジックを振り回しても、相手にはそういうことを理解するきっかけも気持ちも時間もありません。
どんなに正しいことであっても知らなければただ疎ましいだけなんですね。うちのサリーも怒られると、仮にその場で言うことを聞いたとしても、「やりたくないこと」としてインプットされた出来事になるため、次回も「やだ」と必ずなります。そういうことを如何に想像できるかが、教え手の技量となります。
人に何かを教えるという立場であっても、他人の興味を引くにはやはり努力が必要なのです。
言葉で手抜きはできないのです。ひたすら、コストと時間をかけ、気持ちを行動に込めて示していくしかないのです。
そうすることによって初めて純粋な伝達が達成され、またその伝えたかったことがらは他人である相手の知識だけではなく、なんと価値観となることができます。
子供のころに感じることというのはとてつもなく大事なことです。学校が終わってから夕ご飯までの二時間の遊び時間、永遠に感じましたよね?
今の二時間なんて仕事していたらあっと言う間です。
冷静に考えれば、三歳の子供にとっての一年は、人生の三分の一で、三十歳の大人にとっての一年は人生の三十分の一なのだから、感じ方に差があるのは当然です。
その大事な時期に、怒りに任せて言葉で手抜きはできない、と日々言い聞かせて愛娘と対峙する。
何を教えるかではなく、自分がどういう人間であるかのほうが大事だと思う。
しかし怒りを抑えるのは本当に難しいことです。
最近夫婦でブッダの教え一日一語から、スマナサーラ長老の一言を噛みしめて、頑張っています。最後に引用してごきげんよう。
「怒ると、体のなかに火が生まれます。そして自分を燃やし始めます。それは毒を飲むことと同じなのです。
幸福な人生に対する猛毒は、怒ることです。嫌な人に怒る、ものごとがうまくいかないと怒る、仲間に怒る、さらには雨にも風にも怒る。人は怒り中毒です。
怒ると、怒ったその人は怒りの炎に燃えているのです。それに対して怒り返すと、相手の炎が自分に燃え移ることになります。延焼しないよう、身を守ることが大事です。だから、人が怒っても自分は決して怒らないことです。」
サリーちゃんのパパ